おもしろ日本研究会
-----------------------------------------
山城1番
マンション管理人の山城1番さん、出勤前から掃除に精を出し建物のどこにいるか分からない。礼儀正しく挨拶は帽子を取って「おはようございます!」と。まともに付き合っていると長くなる。急いでいる時は会わないように小走りで出ると、後ろから「行ってらっしゃいませ、お気をつけて!」と大きな声がかかる。以前はなんの仕事だったのか、丁寧すぎて執事かホテルマン?
安芸1番
友達のご主人は中小企業の社長の安芸1番さん、会社にはベトナムからの研修生を受け入れている。私が広島駅に着いた時は、3人で出迎え。運転しながら助手席の娘さんと広島カープの話で延々盛り上がっている。他にも自立した息子さん、お嬢さんがいるが、残った娘とこんなに仲良しな父親は見たことがない。自社ならではの幸せな現役。
信濃1番
同じマンションの信濃1番さんは、ITエンジニア。以前は新幹線で東京へ通勤。現在家は近くの病院の寮に貸していて、それが延々と続いている。同郷の奥様はお母様が亡くなり、家の片付けでよく帰郷。今は夫婦で京都に引越したようなもの。近年、信濃1番さんは透析を1日おきに。でもその表情は「ジムに通っているようなものですよ」と明るい。
----------------------------------------- 25.1.5
摂津1番
某大手企業で在米勤務もあった摂津1番さん。退職後は語学や別荘生活を楽しんだり。が、ある日家で倒れ、心肺停止から一命を取り留め、現在高次脳機能障害(低酸素脳症)。幸い身体的障害はなく、会話も可能で一種の認知症。記憶が途切れ、直ぐ前の事も何度も訊ねる「そんなおじいさんと暮らしています」と奥方様より。
下野1番
10年ほど除夜の鐘を一緒した下野1番さんは建設業。フェラーリに乗ってダンヒルのパイプをくぐらすダンディーな人。自社の仕事を手伝う奥様の唯一の贅沢は着物を着て京都に来ること。最近下野1番さんは耳が遠くなり、話が通じない。フェラーリが大破しても大した怪我もなさそうで毎年仲良く夫婦で京都にやってくる。
伊予1番
環境方面では第一人者の某大学教授だった伊予1番さんは、現在は教え子がしっかり受け継いでいる。退職後は環境をテーマの時事漫画に磨きがかかって新聞にも掲載されたり、関西漫画家協会のメンバーにも加わり展示会も。本業とは別に長年環境漫画を描いているという二足の草鞋、かっこいい!!
----------------------------------------- 25.1.10
武蔵1番
某有名デパートの美術部を退職した後、自分で骨董業を始めた武蔵1番さん。良家の一人息子で大学時代から付き合っている友達に「いつ結婚なさるの?」と迫る彼の母親はお茶の先生。隣に住む叔母様はお料理の先生。この方達がいる間はとても無理、と友達曰く。二人とも102歳104歳まで存命。自身も骨董になりつつある武蔵1番さん。
甲斐1番
デザイナーの甲斐1番さんは世界で開催した展示会は数知れず。奥様は同居の彼の両親の世話をしながら二人の子供を育て、海外への同伴も。多忙が重なりついに認知症に。両親も亡くなり、二人の子供は海外へ移住。彼のことも分からない病院暮らしの奥様に、一人暮らしとなった甲斐1番さんは「寂しい、寂しい」と。
伊勢1番
老舗の海産物問屋の息子にも関わらず、JICAでアフリカ諸国に長く滞在の伊勢1番さん。あちらの言語や仏語も堪能で、子連れの奥様もアフリカ人。さぞ両親は驚かれたことでしょう。その血の繋がらない息子さんが日本にすっかり溶け込み、店を手伝っている。生まれた娘さんはNYに。今や海外支店を持つようなもので伊勢1番さんは営業に忙しい。
----------------------------------------- 25.1.13
阿波1番
某大学の考古学の教授だった阿波1番さんは毎年エジプトに発掘調査に。ところがある日、バックしてきた車と壁に挟まれ十数箇所骨折。数回に分けた手術も経た。本人は車椅子も杖もつきたくないと、リハビリ2年で回復。またエジプトに出かけているという根性!! 世の中には凄い人がいるものです。
尾張1番
某商社で欧州滞在中にあちらの人と結婚の尾張1番さん。4人兄弟の長男だが結婚後は皆別の場所に。実家の大きな屋敷は母親一人で蔵に泥棒が入っても気が付かず。退職後は商社時代の先物取引の経験を活かして中小企業のオブザーバー。息子とテニスを楽しんだり、米国の別宅に住んでいる娘に会いに時々出かける。
若狭1番
時々京都の別宅へやって来る若狭1番さんは開業医。以前は一緒に食事や遊びに行ったが、コロナからは没交渉。二人の息子さんも研修医と薬剤師で残業続き。親は親で地域の責任ある医療の柱にされてこちらも休みがない。医療も日進月歩、薬の数も一昔前とは違う。絶えず勉強に追われ今後も感染症に限らず災害があれば医者は大変だ。
----------------------------------------- 25.1.13
長門1番
ふぐ専門店料理人の長門1番さん。最近は1年中ふぐが食べられるけど、下関は旬の半年間だけ。京都の店でも冬中心開業で値段は通常の倍?だが、天然トラ河豚にこだわり、歳月をかけて香りをしみ込ませた土鍋や茶炭を用いるので、海外からの客も多い。せっかくの店だが、息子さんがこの店を継ぐかどうか分からない。
因幡1番
因幡1番さんは上京して商業デザイナーで活躍の傍ら、ブリキのおもちゃを集めていた。が、その数が半端でなくなり、展示も兼ねて仕事場を近郊に移している。時代は変わり今はパソコンで仕事ができるので上京回数は減ったようだ。最近の年賀状は自画像や子供時代の絵や詩で、ゆっくりとした生活のようだ。
越中1番
奥の細道で芭蕉が訪ねた所にある寺の住職の越中1番さん。境内に芭蕉の碑があるならばと、気に入って即決した伊達冠石で英語の句碑も作ってしまった。デジタルお化けは苦手と言うが、外人の先生がいる幼稚園を経営したりというなかなかユニークな越中1番さんの活躍は続く。
----------------------------------------- 25.1.19
駿河1番
現在ニーズの高い仕事は色々あるが、その1つが豚の心臓の供給。毎年医者は続々誕生しても、いきなり人の心臓手術は難しい。それで人に近い豚の心臓が練習に使われる。駿河1番さんの都内の仕事場の入口には段ボールが積み上がり、全国からのニーズはあれど、とても間に合わない。
上総1番
腕のいい大工だった上総1番さん。仕事が順調だった大工の親が亡くなり、母親と二人になった。どうもこの母親が某新興宗教に取り込まれたらしい。その余波は上総1番さんにも及び、貯金をどんどん使い、ついに通常生活が無理。本当に気の毒です。
睦奥1番
先祖は北前船の網本の睦奥1番さん。都内での仕事の退職と同時に、まちづくりに協力して某商店街に店を構えた。しかし周りの店のオーナーの高齢化で、訪ねた時、その辺りはし~んとしていた。今はお国の特産品の販売促進のため新たな展開を模索しながらテナントショップのようになっている。
----------------------------------------- 25.1.19
播磨1番
高校の社会科の教師時代は地理はもちろんのこと、歴史は縄文から現代まで。近年の政治経済を教えるのは絶えず勉強が必要だった。ところが退職後の今は養護学校教師の播磨1番さん。担当はたった3人で全科目をみる。勉強というよりも、その子がまず理解し、社会人に育つよう指導している。
大和1番
取材で奈良を歩いていたときに出会った大和1番さん。珍しいお堂の前でシートを広げて墨絵を描いていた。墨絵(水墨画)は文人画とも言う。それはプロの画家ではなく、学者、僧侶、医者などが楽しみで描くもの。大和1番さんも本業があるか知らないけど、年1回の展示会の案内が来る。
讃岐1番
都市銀行を途中退職。専門分野の国家資格を修得し自由人として暮らしてきた。幼少の頃からの囲碁は人生の大半を占めてきた。今奥さんは癌の末期で藁にもすがる思いで民間療法の「水素療法」試みている。これは囲碁の勝負の世界で生きてきた者にとって妻の生命にかける最後の賭け。対局に老いはついていけないが、研究と後進の育成に尽力している。
----------------------------------------- 25.1.25
讃岐2番
手術室という密室で生命と戦ってきた、猛烈外科医の讃岐2番さんは職人そのもの。頼みとする同業の娘に一年前先立たれた後うつ病に。すっぽりと心に穴が空いたのか笑顔もなくなってしまった。社会的な付き会いも避けて来た医道一筋の人で、まだ白衣を着て診療に出ている。これが闇雲に生きて来た外科医の最後の姿かなぁーと。妻の語る夫の今。
相模1番
理工科で有名大卒、某大企業の技術畑で定年まで勤めた相模1番さん。どこから見てもエリートコースなのに奥方さまは口が悪い「どうせこの人は課長止まりよ」。周りはどんどん出世し、偉い人ほど早く退職が回ってきた。結果一番長く会社にいられた相模1番さんは仲良く奥方さまとゴルフを始めた。
羽後1番
羽後1番さんは某水産会社で世界の海を駆け巡ってきた。が、定年近いある日、酔って自転車帰りの坂道で転倒。手術を繰り返し以後半身不随で車椅子。「亭主元気で留守がいい」の生活は一転。どこにいても視界に羽後1番さんが入ってくる。「こんなことならもう少し間仕切りしておけばよかった」と。
----------------------------------------- 25.1.29
美濃1番
大正時代から三代に渡ってお歳暮は富有柿(ふゆうがき)と決まっている。主人の祖母が名古屋出身なので岐阜は近い。義母も続き、今は主人が注文する柿農家の美濃1番さん。三代続くと親戚のようなものですが、寄る年波には勝てず、農園終いとか、残念!
下総1番
こちらも三代に渡っての実家と付き合いのある会計士の下総2番さん。息子さんも税理士で大学教授Ph.D。そもそも彼の父親が亡き女医だった叔母を可愛がってくれたのが縁で、親戚も芋蔓式に繋がった。お歳暮に富有柿を贈れば、あちらからはエビ鯛。うっかり誰かからの名前の付いたままもあった(笑)
肥後1番
肥後1番さんは義父が幼稚園からの付合いのあるゴルフ友達の息子さん。とある時、政治の世界に引っ張り出され何年かの後、その世界からは引退。忘れかけていたら、昨年京都の有名寺院の塔頭に行ったら、何と肥後1番さんが描いた水墨の襖絵があった。この世界の方があっていそう。
----------------------------------------- 25.1.29
越後1番
実家の墓は燕三条にある。お盆の時は東京に3軒ある檀家にお経をあげに上京。その檀家も年と共についに実家のみとなった。暑い東京の夏に汗だらだらで到着。母はキンキンに冷したおしぼりを渡し、毎度決まって出すのは冷たいメロン。越後1番さんはそれが楽しみのようで、1軒でも上京したいと。
越前1番
半蔵門時代から繋がりのある越前1番さんはPCに長けて、それも技術的な範囲を超えてシステム全体を考える人。複数の自分の会社もやりながら、日本のインフラを支える大企業が会員の団体(NPO)の事務局も長年やっている。先日会ったら、日本文化に関係する大きな夢の構想を語った。その夢に私も乗りた~い!
丹波1番
海がないと思いがちな京都は日本海まで続く細長い府。その中央あたりに工房と窯を構える丹波1番さん。洗練された品のいい作品は、主に料亭などに使われているようだ。年1回は京都の市内で、織物作家の奥様と展示会を開催。地域に根ざした地道に活動を続ける作家夫婦だ。
----------------------------------------- 25.1.30
常陸1番
浮気され離婚した友達は、同級生で技術者の常陸1番さんと再婚。結婚式で初婚の彼の親戚はずらっと、彼女側は我ら夫婦が最前列。東京から移り住んだ茨城で、子供が小さい頃は川の字になって窓を開けて星を見ていたと。自然が豊かでいい所だけど使う場所がないのでお金が貯まるそうだ。今度は幸せそうでよかった。
磐城1番
主人が子供の頃の夏の軽井沢では宣教師の子供たちグループと日本人のガキどもが時々喧嘩したそうな。子分にさせられた主人は4つ年上の磐城1番さんが兄貴分。今は北海道で牧場をやっているが、年に一度の馬追祭には国へ帰る。なぜって彼がいないと祭が始まらない。磐城1番さんは今も昔も中心人物かも。
備後1番
テニス仲間だった備後1番さんは当時英語塾を経営。それが「鎌倉に住みたい!」との奥方さまの希望を叶え、小町通り近くにギャラリーカフェを開店。時は経って子供も世帯を持った。今は母親一人になった福山の実家、娘の住む名古屋、妻のいる鎌倉の間を車で行ったり来たり。名古屋で一泊しても、1/3づつの暮らしがいつまで続くのか?
----------------------------------------- 25.2.4
かなり集まってきた小話、長すぎてもまたストレスになるので、
しばしどうするか試作中(苦笑)